クラスター#11

氏名:黒木結芽(くろき・ゆめ)
年代:十代
性別:女性
同居人:あり
職業:中学生
日時:二〇二〇年四月二十二日


やっと国語の課題が終わった。これでやっと三教科の課題を片付けることが出来た。あとは理科と英語だ。

学校が休校になった。新型コロナウイルスの流行を防ぐため。最初に知ったのはテレビのニュース。総理大臣の安達さんが記者会見をしているのを見て「明日から学校ないんだ」と知った。

最初は違和感しかなかった。周りに感染者なんていなかったし、会社は普通にやっている。なんで私たちが休まなければいけないのか分からなかった。

「カラオケ行かない?」

クラスメートからのLINE。私はすぐに「行こう」と返事をした。その日は一緒に遊んでいた。来週はディズニーに行こう。そんな予定も話し合った。

すぐにそれもつぶれてしまう。ディズニーランドもカラオケ店も休業。ちょっとマックで話すなんてことも出来なかった。

やることが無い。家にいる以外の選択肢が生まれなかった。ゲームをするかテレビを見るか。テレビも「コロナ」の話題しかなく、全く面白くない。バラエティ番組も収録が出来ないらしく、総集編ばかり。

それでもニュースを見るしかないから見る。すると、感染者の情報がどんどん流れてくる。

「飲み会をした」

「マスクなしで会話をした」

そんなのばっかり。腹が立って仕方なかった。いや私だって、最初はカラオケに行ったけれど、そのあとはちゃんと家にいた。はじめは自粛なんてしたくなかったけれど、それが決まりなんだって思った。だから我慢した。世界中の人たちが我慢してるんだから、自分も我慢しなきゃって、考え方が変わった。

それなのにニュースで報道されているやつらは自分勝手に感染してる。こいつらのせいで私たちは学校に行けないし、部活も出来ないし、遊びにもいけない。

一年後の受験はどうなるんだろう。修学旅行に行けるのだろうか。私たちが不安に押しつぶされそうになりながら家にいるのに、こいつらはのんきに飲みに行っている。許せるわけなかった。

学校は分散登校が行われた。五十音順の前半と後半に分けて、新学年のクラス分けや休校中の課題を取りに行った。分かってはいたが、たっぷり課題を出された。

全部復習。中一や中二の範囲の問題。なんでこんな課題をしなければいけないんだろう。何も無ければ、今頃中三の新しい教科書で勉強していたはずなのに。そう思うと全くやる気は出なかった。

結局五月から学校は再開するらしい。それと同時に土曜日も授業があるかもだとか、夏休みが無いだとか、ネガティブな情報も入ってきた。

私はそんなに学校が好きなタイプではなかったと思う。いじめとか不登校とは無縁だったけれど、「学校って最高」みたいなわけでもなかった。

だけど、今学校が再開すると聞いて「嬉しい」と感じた。学校に行くことが嬉しいんじゃなくて、この家に引きこもる生活が終わるのが嬉しかった。家にいると、無責任な大人たちが感染したってニュースにムカつくことしかなかったから。

「これからどうするの?」ってことがいっぱいあるけれど、時間をかけて今まで通りの日常に戻るんだろう。テレビのニュースも日に日に感染者が減っていると言っている。

そう思うと少しだけ課題のやる気も出た。まあ正直、五月の提出期限が迫ってるだけなんだけど。それでも、ちゃんと課題をやろうという気持ちにはなった。

なんだか今日は不思議とやる気がある。今は二十二時。うん、もう少しだけ課題をやろう。そう心で思ったときだった。

スマホが震える。パパからの着信だった。珍しい、電話なんてあまりかけてこないのに。そんなことを思いながら私は出る。

「もしもし?」

「結芽、ごめん。コロナにかかってしまった……」


つづく


~~~~~~~~~~~~~~~


もうちょっとだけ書き続けてみようと思います

まだ書いてる途中で、この先どんな展開になるかわかりません

書いてはすぐに公開してを繰り返すと思います

それでも良ければ、読んでください

目標は毎日更新

頻度はあまり期待しないでほしい

ただおもろいことをしたいだけです


感想など、何かありましたら

https://peing.net/ja/mukatsubu

質問箱まで

本来は匿名で質問を送ることの出来るツールですが、僕は一方通行のメッセージを送るツールとしても使っています

これを使えば、どんなメッセージでも完全に匿名で送ることが出来ます

むかいに認識されたくない、だけど感想は送りつけたい

そんなあなたは質問箱に投稿してください

ただし返信は出来ません(誰か分からないので)

特に断りがない限り「これは向井だけに送りたい感想だな」と思ったらTwitterやブログで公開するのは控えます

向井に認識されたい方は各種SNS

Twitter(@mukatsubu)でリプライ・DM、仲の知れたあなたならLINEでも嬉しいです

現在閲覧しているはてなブログ「むかブロ?」はコメント欄を封鎖しています(気づくのが遅くなると思うので)

クラスター#10

氏名:船田一徹(ふなだ・いってつ)
年代:五十代
性別:男性
同居人:あり
職業:飲食店経営
日時:二〇二〇年四月二十八日


この全ての今の状況を理解したうえで、妻は私に店を続けてほしいと言うのだ。

「あなたは「私は料理しか作れない」と言ったでしょ?それでいいじゃない、十分素敵よ」

「だけど……」

「今年の十二月にもう一回話し合いましょう。そのときまでは店を続けてほしい。それまで私も「船田屋」を続けるための努力をするから」

妻は猶予を提案してくれた。

「あなたのお父さんがつくってくれたお店を、このままつぶすわけにはいかないでしょ。お父さんになんて言うの?」

何も言い返せなかった。その言葉を聞いて、私はもう少しだけ頑張ることを決めた。

その日から妻は積極的に「船田屋」の再建に動いた。ホームページを開設し、店の予約を取りやすくする。店の貸し切りプランなど、ありとあらゆる使用目的に合わせたコースを設定する。低価格のランチセットをメニューに追加する。妻は思いつく限りのアイデアを出して、店の復活を目指した。

妻の狙いは的中する。少しずつ客足が戻り始めた。初めてのお客さんも増え、店の売り上げは右肩上がりに増加。「船田屋」はいつぶりかの活気を取り戻した。

約束の二〇一九年十二月。私は妻と二人で話し合いをした。

「お店は続けようと思う」

「はい」

二人で今度はうれし涙を流した。

二〇二〇年の一月には借金を完済。今までで一番大きな壁をなんとか乗り越えることが出来た。絶対に無理だと諦めていた。妻のおかげで乗り越えられた。

「もう怖いものはないね」

妻はそう笑う。また周りの人に助けてもらうかたちになったが、妻は「あなたは包丁だけ握っておけばいいのよ」と励ましてくれた。

心強かった。この人がいればなんでも出来る。私は自分の魂が尽きるまで、生涯料理人として生きようと改めて心に誓った。

その矢先だった。また新たな試練が私を待っていた。もうこれ以上の壁はないと思っていたのに。

「緊急事態宣言が出されました」

新型コロナウイルス。感染者は日に日に増え、日本は大混乱に陥った。マスク姿の内閣総理大臣が緊急事態を宣言する。東京都知事が感染拡大の阻止に動く。多くの企業や飲食店は休業に追い込まれた。街から人が消えた。

眠れなかった。都からの休業要請も出ている。一時的な休業は免れないのは理解していた。辛いのは私の店だけではない。日本全体が我慢を強いられている。

だけど、今店を休業したら当然売り上げはゼロになる。家賃はどうする?今店にある在庫はどうする?売り上げが「ゼロ」であればなんとか耐えられる。でも休業すればあまりにも大きな「マイナス」が生まれてしまう。

分かっている。自分の店で感染者が出てしまったら、もう取り返しのつかないことになる。そんなことは分かりきっている。

……いや、無理だ。寝ないで悩んだが、休業は無理だ。

また赤字が増えたらこれまでの努力も水の泡となる。もちろん営業を続けても、この状況で来てくれるお客様が少ないことも分かっている。それでも、ゼロよりはマシ。一日二組でも一週間来れば、なんとか家賃は払える。いつお店を再開できるかも分からないまま借金を背負うのはあまりにも苦しすぎる。

どっかの職員とかが店に来て、指導されたりするのだろうか?そこまで追い込まれたら休業することにしよう。それまでは営業を続ける。最大限の感染防止策をとって続ける。

自分と自分の周りの人の人生を考えたとき、その選択肢しか選ぶことが出来なかった。個人で経営しているお店で無期限の休業なんてのは不可能だった。

結局、お店は休業に追い込まれた。私が新型コロナウイルスに感染してしまったからだ。

私と従業員の二名が感染した。以前来ていただいたお客様の中に「船田屋」を利用した人がいたこともあとから分かった。つまり、お客様によってクラスターが発生し、そこで接客をした私と従業員は感染してしまったということだ。

お客様は全く悪くない。全責任は私にある。休業要請が出ているにも関わらず営業を続けた私にしか非は無い。売り上げがゼロになることを恐れて、自分のことしか考えていなかった。結果としてクラスターを発生させてしまったのだから、そんな言い訳は通用しない。

テレビでは「芸能人の合コンでクラスターが発生した」と大きく取り上げられている。この人たちがお店に来たことは記憶している。ただでさえ数が少ないお客様の中に、テレビで見たことがある人が来たからだ。店内は四人しかおらず、彼らが楽しくしゃべっている声が響いていた。それを聞きながら、私は従業員の子と「あれはプロ野球の人だ」なんて、しゃべっていた。あの瞬間、私たちは感染していたんだ。

テレビでは「会食」とだけ報道されている。ネットでは当事者である四人は激しいバッシングにあっている。それに加え、緊急事態宣言下で営業していた店はどこなのか特定がされた。あっという間に「船田屋」の名前があがり、バッシングは我々にも及んだ。

妻はPCR検査の結果、陰性判定を受けたが濃厚接触者として自宅待機をしている。私を心配して時折電話をしてもらっているが、「船田屋」の店の電話は鳴りやまないそうだ。理由はもちろん「なぜ営業をしたんだ」というクレーム。妻もノイローゼになりながら、受け答えをしているらしい。

これからどうするんだろう。お店はいつか再開できるのだろうか?息子を大学へ入学させることは出来るのだろうか?家族、従業員、常連客……、色んな人の顔が思い浮かぶ。誰も彼も合わせる顔が無い。申し訳が立たない。

今年のはじめには借金も返済して、明るい未来を描いていたはずなのに。なんでこんな目に遭わなければいけないんだ。休業要請に従えば済んだ話かと思われるかもしれないが、そんな簡単な話ではない。

「コロナで倒産する企業は、結局それまでの企業だ」

ネットでそんな書き込みを見た。それが一番しっくり来た。あのときに休業の選択肢を選べなかった自分が経営者失格だったんだ。

「経営者」「料理人」「父親」どれも失格。悪いのはコロナでも、あのお客様でもない。紛れもない自分だ。

お父さん。ごめんなさい。「船田屋」の名前を汚してしまいました。私のせいで潰れてしまいそうです。本当にごめんなさい。


つづく


~~~~~~~~~~~~~~~


もうちょっとだけ書き続けてみようと思います

まだ書いてる途中で、この先どんな展開になるかわかりません

書いてはすぐに公開してを繰り返すと思います

それでも良ければ、読んでください

目標は毎日更新

頻度はあまり期待しないでほしい

ただおもろいことをしたいだけです


感想など、何かありましたら

https://peing.net/ja/mukatsubu

質問箱まで

本来は匿名で質問を送ることの出来るツールですが、僕は一方通行のメッセージを送るツールとしても使っています

これを使えば、どんなメッセージでも完全に匿名で送ることが出来ます

むかいに認識されたくない、だけど感想は送りつけたい

そんなあなたは質問箱に投稿してください

ただし返信は出来ません(誰か分からないので)

特に断りがない限り「これは向井だけに送りたい感想だな」と思ったらTwitterやブログで公開するのは控えます

向井に認識されたい方は各種SNS

Twitter(@mukatsubu)でリプライ・DM、仲の知れたあなたならLINEでも嬉しいです

現在閲覧しているはてなブログ「むかブロ?」はコメント欄を封鎖しています(気づくのが遅くなると思うので)

クラスター#9

氏名:船田一徹(ふなだ・いってつ)
年代:五十代
性別:男性
同居人:あり
職業:飲食店経営
日時:二〇二〇年四月二十八日


「店を閉じようと思ってる」

二〇一九年二月。私は妻にそう切り出した。

父親である船田茂が創業した「船田屋」。新鮮な魚介や豊富な日本酒が売りの居酒屋だ。

この小さな居酒屋は東京の下町でひっそりと営業している。私は幼少期から店の厨房に立つ父親の姿を見て育った。中学生くらいになると、店の手伝いもした。

やらされていたわけではない。父親はこういう世代の親父にありがちな頑固者ではなく、優しい人柄だった。父親のことは好きだったし、そんな父親と一緒にいるのが楽しくて店の手伝いもしていた。

高校生になって、自然と自分も料理人になることを意識し始めた。父親みたいな料理人になりたい。そう思い、調理の専門学校へ進学した。

そこをあと半年で卒業するというときだった。父親から「大事な話がある」と言われ、二人きりで話した。

父親は病を患っており、治療が必要であることを告白した。ギリギリまで厨房には立つつもりだが、もう長くはこの仕事を続けることが出来ない。もし希望するのであれば、息子である私にお店を継がせたいと思っている。そういう話だった。

驚いた。私が見る限り父親はまだまだ元気でお店も続くと思っていたからだ。私は何かしら料理に携わる職業に就職しようと考えていた。父親の店を継ぐなんて考えたこともなかったし、あるとしてももっと先だと思っていた。

悩んだ末に私は「船田屋」を受け継いだ。父親に継ぐ、二代目店主として。

はじめは父親に店のあれこれを教えてもらいながら店主を務めた。だけど、私が店主となってから父親と一緒に働いた時間はあまりに短かった。

店を継ぐ話をしてもらってからたった半年。父親は他界した。あとから聞いた話だが、病はかなり重いもので、店に立っているのがやっとだったらしい。それでも、お店に来てくれる常連客と私たち家族のために限界まで厨房に立ち続けた。

お葬式には見たことないぐらいの人が参列した。見たことある常連客もいた。「こんなにもお父さんは愛されていたのか」と泣いたことを強烈に覚えている。

二十二歳。店の経営をするにはあまりにも若すぎる。父親にも教えてもらってないことは山ほどあった。不安は数えきれないほどあった。でもこの「船田屋」を続けるのは私しか出来ない。父親のために覚悟を決めて、私は「船田屋」を続けた。

優しい父親の周りには、優しい人が集まる。お客さんや他の飲食店経営者の方々のおかげで、なんとか二代目を務めることが出来た。

二十代は店を回すので精一杯だったが、三十歳で今の妻と結婚。一人の男の子にも恵まれた。

波乱万丈ではあったがうまくいっている人生。周りに恵まれた幸せな日々だった。それが少しずつ曇り始める。

外食業界はチェーン店が勢力をぐんぐん伸ばし始めた。常連客も歳を重ね、高齢となって店を離れていく。少しずつ「船田屋」は客足が減った。

はじめはそこまで重く受け止めていなかった。あんなに若かったときに店を切り盛りした過去がある。たいていのことはなんとかなる、と甘えていた部分があった。

店はいつからか赤字が出始める。見て見ぬふりをして料理を作り続けたが、ついに借金をすることになった。気が付いたら、借金は二百万まで増えていた。

息子は高二。料理人の道には進まず、四年制大学への進学を考えている。学費のことも考えなければいけない。

情けなかった。この歳になって、自分は「料理を作る」ことしか能がない。なんとかなると勘違いしていたが、今思えばなんとかしてくれたのはいつだって周りの人。自分は何も出来ない。

このまま借金を増やせば家族に迷惑をかけてしまう。もう私に店を続ける資格などない。

その全てを妻に話した。妻は号泣した。何度も「力になれなくてごめん」と謝った。妻は息子のことで精一杯で、私のことは二の次にしてしまっていたと自分を責めた。

そんなことはない。自分が悪い。そう私が言っても、妻は首を横に振るだけ。二人で何時間も涙を流した。

散々泣いたあとに妻はこう言い切った。

「私はあなたが料理をつくる姿に惚れたの。だから、店は絶対に辞めないでほしい」


つづく


~~~~~~~~~~~~~~~


もうちょっとだけ書き続けてみようと思います

まだ書いてる途中で、この先どんな展開になるかわかりません

書いてはすぐに公開してを繰り返すと思います

それでも良ければ、読んでください

目標は毎日更新

頻度はあまり期待しないでほしい

ただおもろいことをしたいだけです


感想など、何かありましたら

https://peing.net/ja/mukatsubu

質問箱まで

本来は匿名で質問を送ることの出来るツールですが、僕は一方通行のメッセージを送るツールとしても使っています

これを使えば、どんなメッセージでも完全に匿名で送ることが出来ます

むかいに認識されたくない、だけど感想は送りつけたい

そんなあなたは質問箱に投稿してください

ただし返信は出来ません(誰か分からないので)

特に断りがない限り「これは向井だけに送りたい感想だな」と思ったらTwitterやブログで公開するのは控えます

向井に認識されたい方は各種SNS

Twitter(@mukatsubu)でリプライ・DM、仲の知れたあなたならLINEでも嬉しいです

現在閲覧しているはてなブログ「むかブロ?」はコメント欄を封鎖しています(気づくのが遅くなると思うので)

クラスター#8

氏名:表玲音(おもて・れお)
年代:二十代
性別:男性
同居人:あり
職業:プロ野球選手
日時:二〇二〇年四月二十七日


「今度の合コンどうしましょうか?」

黒木さんがLINEのグループで発言する。

結局未だにプロ野球は開幕の見通しが立っていない。何もやることはない。だけど、周りに感染者なんていない。一回くらい飲みに行ったっていいだろう。くーみんに会いたい気持ちももちろんあるが、もう「自粛」っていう風潮がうんざりだった。なんでもかんでも我慢すりゃいいってもんじゃないだろう。

俺はなんとか開催に持っていけるようにグループで発言した。「開幕したら忙しい」とか、何かしらの理由も添えて。そして他の三人も同意してくれた。

これでいい。どうせ若者は感染しない。若者がちょっとでも経済を回さなければいけないんだ。

……と思っていた。「なんで合コンなんて行ったんだ」ともう何十回も聞かれた。それに対する本音を心の中で考えた。長くなったけれど、これが俺の言い訳だ。

「陽性でした」

俺は球団関係者に片っ端から電話をする。新型コロナ陽性を報告するためだった。

反応は人それぞれだった。だいたいは俺の体調を心配してくれる。だけど、中には「危機管理が甘い」と怒鳴ってくる人もいた。

でも、まあ怒鳴られても仕方ないかなと思う。

スマホのニュースアプリを開く。自分が陽性となったことがトップニュースで取り上げられていた。中身を読むと、会食が原因と書かれていた。

ここ二週間の行動履歴を医師に求められた。俺は全身から汗が噴き出た。思い当たる節がありすぎる。練習だろうか、外食だろうか……。

だけど一番思い当たりがあるのは、あの合コンだった。医師が指摘した感染したと予想される期間とも合致する。それを裏付けるかのように、あの日のメンバー全員が陽性になったとニュースが出る。

嘘をついたところで逃れることは出来ない。全ての行動履歴を白状し、球団にもそう報告した。原因は恐らくあの日の合コンです、と。

世間のバッシングは想像を絶するものだった。これはもう受け止めるしかない。何をどう考えても俺が悪い。俺の行動が軽率だった。

それも辛かったが、それ以上に辛いことがある。くーみんが激怒している。グループで長文で三人を責め立てた。

「犯人は誰?誰がウイルスを持っていたの?私は絶対に違う」

要約するとこんな感じ。くーみんは自身が元気であったことから、他の三人が実は感染していたんだと決めつけていた。

それに対して小野寺さんも言い返す。

「私はこの合コンに数合わせで呼ばれました。この日以外に外食はしていません。あなたが持っていたんじゃないの?」

こんな風に言い返す。二人とも怒っているのは間違いなかった。

それもそのはず。どこからかぎつけたのか分からないが、俺たち四人があの日に合コンしていたことを週刊誌が報道した。それと同時にバッシングの標的は自分だけではなく、四人全員に変わった。

くーみんと小野寺さんは「自分は悪くないのに、なんでこんなに叩かれないといけないんだ」とお互い責任をなすりつけあった。黒木さんは謝っているが、あくまで自分がウイルスを持っていたわけではないと釈明している。

俺も元気だったと主張はする。本音は俺が原因ではないとは言い切れない。だけど、そんなこと言えなかった。

しびれを切らしたくーみんが直接俺に電話をかけてくる。

くーみんは合コンしたことを保健所に報告しなかった。当初は感染経路不明とされていた。それが週刊誌の報道を機に一転した。

「あんたのせいでこんなことになったんだからね」

合コンが週刊誌に漏れたことが、俺のせいだと責められた。四人が黙秘すれば、合コンしていた事実が世間にバレずに済んだのにと怒っている。

「あとうちはあんたがウイルスを持ってたって疑ってるから」

何もかもを俺の責任にするつもりらしい。俺はくーみんの気が済むまで謝って、なんとか電話を切った。

地獄だ。たった今も地獄だし。これからも地獄。世間からのバッシングも収まらないし、あの日の四人からはずっと恨まれ続ける。こんな大の大人が醜い喧嘩をしているのが耐えられない。

野球のことは考えられなかった。人生が終わった気分だった。


つづく


~~~~~~~~~~~~~~~

 

【ごめんね】昨日ミスって#7と一緒に#8も公開しちゃってました

昨日「あれ一話読み飛ばした?」ってなったり、今「これ昨日も読んだくね?」ってなった人ごめんなさい、許してね

昨日の#8はなかったことにしてください


もうちょっとだけ書き続けてみようと思います

まだ書いてる途中で、この先どんな展開になるかわかりません

書いてはすぐに公開してを繰り返すと思います

それでも良ければ、読んでください

目標は毎日更新

頻度はあまり期待しないでほしい

ただおもろいことをしたいだけです


感想など、何かありましたら

https://peing.net/ja/mukatsubu

質問箱まで

本来は匿名で質問を送ることの出来るツールですが、僕は一方通行のメッセージを送るツールとしても使っています

これを使えば、どんなメッセージでも完全に匿名で送ることが出来ます

むかいに認識されたくない、だけど感想は送りつけたい

そんなあなたは質問箱に投稿してください

ただし返信は出来ません(誰か分からないので)

特に断りがない限り「これは向井だけに送りたい感想だな」と思ったらTwitterやブログで公開するのは控えます

向井に認識されたい方は各種SNS

Twitter(@mukatsubu)でリプライ・DM、仲の知れたあなたならLINEでも嬉しいです

現在閲覧しているはてなブログ「むかブロ?」はコメント欄を封鎖しています(気づくのが遅くなると思うので)

クラスター#7

氏名:表玲音(おもて・れお)
年代:二十代
性別:男性
同居人:あり
職業:プロ野球選手
日時:二〇二〇年四月二十七日


俺は自暴自棄になっていた。

去年はローテーション守って九勝。今年が勝負の年。「チームのエースとなって戦うんだ」という強い気持ちを持って、去年のシーズンオフから体を作り続けてきた。練習の手を止めるとプレッシャーに押しつぶされそうになる。俺は時間がある限りトレーニングをした。

キャンプを順調に過ごし、オープン戦も始まった。余力を残すなどあとのことは全く考えずに全力で挑んだ。体力ならこのオフでついたはず。結果として、オープン戦は絶好調で監督は開幕投手に抜擢することも示唆してくれた。

それが一瞬で水の泡となる。なんとなくニュースで国内に感染者が出たと聞いた。それがあれよあれよと広がり、日本は自粛ムードが広がった。プロ野球は開幕の目途が立たないまま、自粛を促された。

ありえない。一週間でも体を動かさなかったら、またゼロから作り直さないといけない。開幕を意識して、日本一を意識して、何か月もやってきたというのに、その全てが無駄になった。

球団は練習はおろか、無期限で自宅待機を命じた。俺は実家に帰ることにした。

仕方ないことだとは分かっている。辛いのは自分だけではない。プロ野球選手全員がボールを握ることも許されない。日本人全員が我慢している。だけど、だけど家でじっとなんてしていられなかった。

「表さん、一緒に練習しましょうよ」

チームの後輩からLINEが来た。

「今は無理だろ」

「それがいけるんですよ。極秘スポット見つけました」

球団の施設は使用禁止。だけど、後輩はとある室内練習場を使わせてもらえるように手配してくれた。個人で管理されていて、高校野球の名門校などが合宿に使うような場所らしい。管理人もこのコロナ禍で利用者がおらず困っているとのこと。利用したことは公表しないし、長時間の滞在もOKとのこと。

「分かった。行く」

俺は仲のいいチームメイト三人でその練習場に行くことにした。だけど、三人だと都合が悪い。キャッチボールは偶数人のほうが効率がいい。

「弟、連れてってもいい?」

「いいですよ!」

弟の玲人は高校で野球部に所属している。メディアでは兄弟でプロ野球での共演を期待されている。

マチュアがプロの練習に着いていくのは普通はありえない。だけど、この状況下ならチームメイトも許してくれるだろうし、室内で出来る練習程度なら玲人も着いてこれるだろう。

怜人も「行きたい」と即答し、チームメイトも思った通りに許してくれた。四人での極秘練習が決まった。

車で練習場に行き、一日汗を流す。満足のいく練習ではないが、家でじっとしているよりかは数倍マシ。三月は週二回以上のペースで極秘練習を進めた。

「周りで感染者でた?」

「ううん。出てない」

世間の状況とは裏腹に、身の周りで感染者が出たという報告は無かった。家族に聞いても会社とか周りでそういった報告はないらしい。

三月の終わり、ニュースでは「日本の累計患者数が千人を超えました」と報道した。

千人?日本の人口は一億二千万人。これって何パーセントにあたるんだ?一億人だとして……。俺はあまり計算は得意ではないので、スマホで電卓を叩く。俺の計算が間違っていなければ0.001%。十万人に一人は感染しているということか?あってるかな?

自粛が言い渡されたとき、はじめの感情は「絶望」だった。次第に「不安」となった。だけどこうして極秘で練習をして、少しずつ元気を取り戻した今、一番大きな感情は「怒り」だった。

ここまでしなければいけないのか?俺たちの仕事でもあり命でもある野球を取り上げられるほどのことなのか?練習も飲み会も我慢しなければいけないほどのことなのか?

何かがおかしい。かかったところで日本人はそこまで死なないらしい。こんなにも大袈裟に自粛自粛となる必要はあるのだろうか?調べても感染例は高齢者が多いらしい。じゃあ十万人に一人の計算ももっと分母が大きくなる。

「ちょっとだけ飯でもいかない?」

ある日の極秘練習終わり、俺は恐る恐る提案してみた。

「行きましょう!」

どうも全員同じことを思っていたらしい。この自粛ムードはやってられないと。良かった。俺だけじゃなかった。

久しぶりに外食をする。この状況でお店もどこも閉まっていたが、個人経営の小さなラーメン屋はやっていた。

「うめえ……」

ラーメン屋さんはお客さんは全くいない。これだと営業すればするほど赤字だろう。店主の顔もかなり曇っている。

久々のラーメンのスープを飲み干し、俺は確信した。

やり過ぎだ。世の中おかしい。そりゃ高齢者の命は守らないといけないかもしれないし、医療従事者も命がけかもしれない。だけど、ちゃんと人混みでマスクをするなり、手を消毒すれば十分。ここまで自粛していたら、経済への打撃とか圧倒的にデメリットが多いだろう。


つづく


~~~~~~~~~~~~~~~


もうちょっとだけ書き続けてみようと思います

まだ書いてる途中で、この先どんな展開になるかわかりません

書いてはすぐに公開してを繰り返すと思います

それでも良ければ、読んでください

目標は毎日更新

頻度はあまり期待しないでほしい

ただおもろいことをしたいだけです


感想など、何かありましたら

https://peing.net/ja/mukatsubu

質問箱まで

本来は匿名で質問を送ることの出来るツールですが、僕は一方通行のメッセージを送るツールとしても使っています

これを使えば、どんなメッセージでも完全に匿名で送ることが出来ます

むかいに認識されたくない、だけど感想は送りつけたい

そんなあなたは質問箱に投稿してください

ただし返信は出来ません(誰か分からないので)

特に断りがない限り「これは向井だけに送りたい感想だな」と思ったらTwitterやブログで公開するのは控えます

向井に認識されたい方は各種SNS

Twitter(@mukatsubu)でリプライ・DM、仲の知れたあなたならLINEでも嬉しいです

現在閲覧しているはてなブログ「むかブロ?」はコメント欄を封鎖しています(気づくのが遅くなると思うので)

クラスター#6

氏名:原田久美(はらだ・くみ)
年代:二十代
性別:女性
同居人:あり
職業:モデル
日時:二〇二〇年四月二十二日


「え、マジっすか……」

「なに?怖がってんの?」

顔が引きつっている私を見て、先輩はケラケラ笑っている。

ホストクラブ。イケイケな女子が夜に派手に遊んでるイメージ。そんな世界に足を踏み入れて大丈夫だろうか?私、そんなキャラじゃないはずだったのに。いや、もうそんなことないか……。

「ここは会員制でね、芸能人もよく来るの」

ビルの小さなエレベータに乗り込む。どの階もホストクラブかキャバクラ、そんなビル。そこの最上階に連れてってくれるみたいだ。

エレベータのドアが開くと、ホストクラブとは思えない質素な空間が広がっていた。大きな扉が一枚あって、横には機械みたいなのがついている。

先輩は財布を取り出し、機会にかざす。「カチャ」と鍵が開く音がした。

先輩が扉を開けると、そこはイメージ通りの「ホスト」の世界だった。暗いけれどギラギラしていて、香水っぽいきつい匂いがする。扉を開けた瞬間、大きな音が耳に入ってきた。マジか、ここ防音なんだ。

「いらっしゃいませ」

「連れて来たよ」

「え?マジすか?」

たぶんホストと思われる男が何人か近寄ってくる。

「この子初めてだから優しくしてね」

「オーケーです」

「いつものコースで」

手慣れたセリフを店員にゆって先輩は奥のテーブルへ座る。「こっち」と私を手招きをしながら。

ふかふかのソファーに先輩と座る。それと同時に男たちも何人か座る。そこでやっと先輩があれこれ事情を教えてくれた。

まず先輩はここの常連客。私と同じで事務所の先輩に連れられて、このお店でホストデビューしたらしい。初めてのときに一瞬で心を掴まれて、あっという間にハマった。多いときは週一回は来るらしい。

ホストも芸能人が相手だとテンションがあがるらしく、逆指名とゆっていいぐらい先輩に着きたいホストは多い。先輩も色んな男と話せるから、まんざらでもない。来るたんびにお気に入りのホストと新入りのホストが入り混じった大勢の男に囲まれて、上機嫌に酒を飲んでいる。それが先輩流のストレス発散だと教えてくれた。

で、お気に入りのホストが私のファンとのこと。「くーみんに会いたい」とせがまれたらしく、今日のお代をチャラにする代わりにくーみんを連れてくる約束をしたんだとか。

「はじめまして、稲妻ライです」

「ライくん。私のお気に入りで、こいつのお気に入りはあんたってわけ」

私は軽く会釈する。ライくんはそんな堅い態度はよしなとグラスを渡してくる。

「ほんとに、今日タダにしてくれるんでしょうね」

「もちろん!くーみんに会えたんで俺が持ちます」

「よし、じゃあ一番高い酒持ってきて~」

「ちょ、冗談きついっすよ~」

このときはこんなやりとりも苦笑いしていた。むしろ寒いって思うくらい。

二時間後。私は手に持っているグラスがお酒かお水か分からないくらい酔っていた。立つとクラクラする。

「トイレどっち?」

「一緒に行こっか」

ライくんがさらっと手を握り、さらっと肩を抱く。

最初にソファーに座ったときは全然カッコいいなんて思わなかったのにな。今は肩を抱かれても全然嬉しかった。

私、何しゃべったんだっけ。何食べたんだっけ。何飲んだんだっけ。全然覚えてないけど、はっきりと分かることは今がとにかく楽しい。なんでかは分からないけど、もう家に帰りたくない。ここにいたい。

私のホスト初体験はここで記憶が途切れている。ライくんと一緒にトイレに行ったのまでは微かに覚えている。その次に気づいたら、家の玄関で寝ていた。手には見たことのないカードを握っていた。

先輩いわく、タクシーに無理矢理乗せて帰らせてくれたらしい。手に持っているカードは、あのホストクラブの会員になった証。先輩が最初にピッとしていたやつみたいだ。これで私もあのお店に出入りすることが出来る。

だんだん目が覚めてくる。スマホを見ると、見たことのない量の通知が来ていた。全部、昨日のお店のホストたち。「昨日はありがとう」「また来てね」だいたいそんな感じ。LINEを交換したことも覚えてなかったけど、結構な人数と交換したみたいだ。

あの日を境に私は先輩と同じルートを歩いてしまった。あの独特のホストの世界がたまらない。完全にとりことなって常連客の一人になった。

「なんか今日多くない?」

いつからか平気で一人でもお店に行くようになった。一人で行っても、ずらっとお気に入りのホストが私を囲んでくれる。それが気持ちいい。

「やっぱなんちゃら宣言が出たせいで、お客さんも全然こないんすよ」

「店やってもいいの?」

来ている私がゆうのもなんだけど。

「うちは会員制なんで、へっちゃらっす」

「じゃあ全員うちに付き合ってくれるってわけね?」

「もちろんっす!」

私はグラスのお酒をグイっと一気飲みした。


つづく


~~~~~~~~~~~~~~~


もうちょっとだけ書き続けてみようと思います

まだ書いてる途中で、この先どんな展開になるかわかりません

書いてはすぐに公開してを繰り返すと思います

それでも良ければ、読んでください

目標は毎日更新

頻度はあまり期待しないでほしい

ただおもろいことをしたいだけです


感想など、何かありましたら

https://peing.net/ja/mukatsubu

質問箱まで

本来は匿名で質問を送ることの出来るツールですが、僕は一方通行のメッセージを送るツールとしても使っています

これを使えば、どんなメッセージでも完全に匿名で送ることが出来ます

むかいに認識されたくない、だけど感想は送りつけたい

そんなあなたは質問箱に投稿してください

ただし返信は出来ません(誰か分からないので)

特に断りがない限り「これは向井だけに送りたい感想だな」と思ったらTwitterやブログで公開するのは控えます

向井に認識されたい方は各種SNS

Twitter(@mukatsubu)でリプライ・DM、仲の知れたあなたならLINEでも嬉しいです

現在閲覧しているはてなブログ「むかブロ?」はコメント欄を封鎖しています(気づくのが遅くなると思うので)

クラスター#5

氏名:原田久美(はらだ・くみ)
年代:二十代
性別:女性
同居人:あり
職業:モデル
日時:二〇二〇年四月二十二日


「え~世間では、なんとかウイルスってやつが流行ってますけども~」

ライはグラスを突き上げ、声を張る。

「ウイルスとかばい菌は~、アルコールで除菌できます!」

「うぇーい」と他のホストやお客から声が上がる。

「今晩しこたま飲んで、ウイルスやっつけましょう!」

ライはさらにグラスを突き上げる。

「乾杯!」

「「「乾杯!」」」

シャンパンが注がれたグラスとグラスがぶつかる音があちこちで鳴る。私の周りにいる男たちはいつもより数が多かった。

私はこうゆうと意外と思われるが、学生の頃はモテなかった。高校卒業までにちゃんと付き合った男は三人ぐらいかな?決して陰キャではなかったけど、そんな明るい奴でもなかった。

テキトーに選んだ大学でテキトーに遊んで過ごしてたある日。たまたま街で声をかけられた。スカウトだった。

将来の夢なんてなかった。大学を卒業したら、まあまたテキトーに会社入って平凡な人生送ろうと思ってた。勉強するのはやだし、努力するのも嫌い。ヤンキーみたいにぐれた人生でもないし、悪いこともしてない。フツーの人生で十分だった。

それがある日突然スカウトに声をかけられて人生が変わる。別にモデルをやる気なんて全くなかったけれど、ただ単純に「かわいい」と声をかけられたのが嬉しかった。

「ぶっちゃけ稼げるんすか?」

冗談交じりにスカウトに聞く。

「君ならきっと稼げると思うよ。かわいいだけじゃなくて、華がないとモデルとしてはやっていけない。だけど、君は華があるからね」

ま、やめたくなったらやめればいっか。私はスカウトの話を「はいはい」と聞き入れ、モデルになることにした。

スカウトの男は山下ってゆう名前。山下はそのまま私のマネージャーになって二人三脚で仕事をすることになった。

山下はこれまで数多くのモデルや芸能人をプロデュースしてきたらしい。聞けば聞くほど山下の手によって芸能界デビューしたビッグネームのタレントが出てくる。それだけ力も持っているらしく、私はあっという間に大量の仕事が入ってきた。

最初は来た仕事を淡々とこなした。感覚はバイトと一緒。初めてやる仕事ばっかりだったから、楽しいなって感じはした。

「うそ……」

給与明細を見たときに漏れた言葉。びっくりした。ありえんぐらいのお金が書かれていた。どの仕事がどのくらいお金が入るのかはよく分からない。ただ、私の予想の数倍多いお給料だった。

最高だ。毎月こんだけお金が入ってくるんなら、もっといい家に住んで、もっといい服が着れる。私は山下の指示通りに仕事をこなした。

山下は私のやり方には特に口出しをしない。私のやりたいようにやればいいと、特にダメだしをするような人ではなかった。

「共演した人には必ず礼儀を欠かすな」

唯一これだけは厳しかった。共演した人には後日お礼をする。プライベートでも積極的に飲みに行く。これが山下いわくこの業界でやっていく秘訣らしい。

そうゆうのはあまり得意ではなかった。と思っていたが、ちょっとずつちょっとずつ慣れていった。テレビの共演者にLINEとかDMを送って、頻繁にご飯に連れてってもらう。それがどんどん当たり前になっていった。

そんなんでいいのか私?と思うときもあった。でも、こうゆうご飯連れてってくれる人はだいたい目上の人で、だいたい女好き。いいお店に連れてってくれるうえに、ご飯代はおごってくれる。人によってはタクシー代までくれる。食費も交通費もかからない。給料はめっちゃ入ってくる。そんなんやめられるわけなかった。

「おもしろいところ連れてってあげる」

同じ事務所の先輩のモデルさんがある日私にこう声をかけてくれた。私はいつも通りニコニコしながら着いていった。連れてかれたのが、ホストクラブだった。


つづく


~~~~~~~~~~~~~~~


もうちょっとだけ書き続けてみようと思います

まだ書いてる途中で、この先どんな展開になるかわかりません

書いてはすぐに公開してを繰り返すと思います

それでも良ければ、読んでください

目標は毎日更新

頻度はあまり期待しないでほしい

ただおもろいことをしたいだけです


感想など、何かありましたら

https://peing.net/ja/mukatsubu

質問箱まで

本来は匿名で質問を送ることの出来るツールですが、僕は一方通行のメッセージを送るツールとしても使っています

これを使えば、どんなメッセージでも完全に匿名で送ることが出来ます

むかいに認識されたくない、だけど感想は送りつけたい

そんなあなたは質問箱に投稿してください

ただし返信は出来ません(誰か分からないので)

特に断りがない限り「これは向井だけに送りたい感想だな」と思ったらTwitterやブログで公開するのは控えます

向井に認識されたい方は各種SNS

Twitter(@mukatsubu)でリプライ・DM、仲の知れたあなたならLINEでも嬉しいです

現在閲覧しているはてなブログ「むかブロ?」はコメント欄を封鎖しています(気づくのが遅くなると思うので)