クラスター#10

氏名:船田一徹(ふなだ・いってつ)
年代:五十代
性別:男性
同居人:あり
職業:飲食店経営
日時:二〇二〇年四月二十八日


この全ての今の状況を理解したうえで、妻は私に店を続けてほしいと言うのだ。

「あなたは「私は料理しか作れない」と言ったでしょ?それでいいじゃない、十分素敵よ」

「だけど……」

「今年の十二月にもう一回話し合いましょう。そのときまでは店を続けてほしい。それまで私も「船田屋」を続けるための努力をするから」

妻は猶予を提案してくれた。

「あなたのお父さんがつくってくれたお店を、このままつぶすわけにはいかないでしょ。お父さんになんて言うの?」

何も言い返せなかった。その言葉を聞いて、私はもう少しだけ頑張ることを決めた。

その日から妻は積極的に「船田屋」の再建に動いた。ホームページを開設し、店の予約を取りやすくする。店の貸し切りプランなど、ありとあらゆる使用目的に合わせたコースを設定する。低価格のランチセットをメニューに追加する。妻は思いつく限りのアイデアを出して、店の復活を目指した。

妻の狙いは的中する。少しずつ客足が戻り始めた。初めてのお客さんも増え、店の売り上げは右肩上がりに増加。「船田屋」はいつぶりかの活気を取り戻した。

約束の二〇一九年十二月。私は妻と二人で話し合いをした。

「お店は続けようと思う」

「はい」

二人で今度はうれし涙を流した。

二〇二〇年の一月には借金を完済。今までで一番大きな壁をなんとか乗り越えることが出来た。絶対に無理だと諦めていた。妻のおかげで乗り越えられた。

「もう怖いものはないね」

妻はそう笑う。また周りの人に助けてもらうかたちになったが、妻は「あなたは包丁だけ握っておけばいいのよ」と励ましてくれた。

心強かった。この人がいればなんでも出来る。私は自分の魂が尽きるまで、生涯料理人として生きようと改めて心に誓った。

その矢先だった。また新たな試練が私を待っていた。もうこれ以上の壁はないと思っていたのに。

「緊急事態宣言が出されました」

新型コロナウイルス。感染者は日に日に増え、日本は大混乱に陥った。マスク姿の内閣総理大臣が緊急事態を宣言する。東京都知事が感染拡大の阻止に動く。多くの企業や飲食店は休業に追い込まれた。街から人が消えた。

眠れなかった。都からの休業要請も出ている。一時的な休業は免れないのは理解していた。辛いのは私の店だけではない。日本全体が我慢を強いられている。

だけど、今店を休業したら当然売り上げはゼロになる。家賃はどうする?今店にある在庫はどうする?売り上げが「ゼロ」であればなんとか耐えられる。でも休業すればあまりにも大きな「マイナス」が生まれてしまう。

分かっている。自分の店で感染者が出てしまったら、もう取り返しのつかないことになる。そんなことは分かりきっている。

……いや、無理だ。寝ないで悩んだが、休業は無理だ。

また赤字が増えたらこれまでの努力も水の泡となる。もちろん営業を続けても、この状況で来てくれるお客様が少ないことも分かっている。それでも、ゼロよりはマシ。一日二組でも一週間来れば、なんとか家賃は払える。いつお店を再開できるかも分からないまま借金を背負うのはあまりにも苦しすぎる。

どっかの職員とかが店に来て、指導されたりするのだろうか?そこまで追い込まれたら休業することにしよう。それまでは営業を続ける。最大限の感染防止策をとって続ける。

自分と自分の周りの人の人生を考えたとき、その選択肢しか選ぶことが出来なかった。個人で経営しているお店で無期限の休業なんてのは不可能だった。

結局、お店は休業に追い込まれた。私が新型コロナウイルスに感染してしまったからだ。

私と従業員の二名が感染した。以前来ていただいたお客様の中に「船田屋」を利用した人がいたこともあとから分かった。つまり、お客様によってクラスターが発生し、そこで接客をした私と従業員は感染してしまったということだ。

お客様は全く悪くない。全責任は私にある。休業要請が出ているにも関わらず営業を続けた私にしか非は無い。売り上げがゼロになることを恐れて、自分のことしか考えていなかった。結果としてクラスターを発生させてしまったのだから、そんな言い訳は通用しない。

テレビでは「芸能人の合コンでクラスターが発生した」と大きく取り上げられている。この人たちがお店に来たことは記憶している。ただでさえ数が少ないお客様の中に、テレビで見たことがある人が来たからだ。店内は四人しかおらず、彼らが楽しくしゃべっている声が響いていた。それを聞きながら、私は従業員の子と「あれはプロ野球の人だ」なんて、しゃべっていた。あの瞬間、私たちは感染していたんだ。

テレビでは「会食」とだけ報道されている。ネットでは当事者である四人は激しいバッシングにあっている。それに加え、緊急事態宣言下で営業していた店はどこなのか特定がされた。あっという間に「船田屋」の名前があがり、バッシングは我々にも及んだ。

妻はPCR検査の結果、陰性判定を受けたが濃厚接触者として自宅待機をしている。私を心配して時折電話をしてもらっているが、「船田屋」の店の電話は鳴りやまないそうだ。理由はもちろん「なぜ営業をしたんだ」というクレーム。妻もノイローゼになりながら、受け答えをしているらしい。

これからどうするんだろう。お店はいつか再開できるのだろうか?息子を大学へ入学させることは出来るのだろうか?家族、従業員、常連客……、色んな人の顔が思い浮かぶ。誰も彼も合わせる顔が無い。申し訳が立たない。

今年のはじめには借金も返済して、明るい未来を描いていたはずなのに。なんでこんな目に遭わなければいけないんだ。休業要請に従えば済んだ話かと思われるかもしれないが、そんな簡単な話ではない。

「コロナで倒産する企業は、結局それまでの企業だ」

ネットでそんな書き込みを見た。それが一番しっくり来た。あのときに休業の選択肢を選べなかった自分が経営者失格だったんだ。

「経営者」「料理人」「父親」どれも失格。悪いのはコロナでも、あのお客様でもない。紛れもない自分だ。

お父さん。ごめんなさい。「船田屋」の名前を汚してしまいました。私のせいで潰れてしまいそうです。本当にごめんなさい。


つづく


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もうちょっとだけ書き続けてみようと思います

まだ書いてる途中で、この先どんな展開になるかわかりません

書いてはすぐに公開してを繰り返すと思います

それでも良ければ、読んでください

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ただおもろいことをしたいだけです


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